アヒルが小屋に帰っていくセーター

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11月下旬 寝坊をしてしまい昼下がり電車に乗って一目散に学校へ向かったところ私が1年ほど前から探していたアメリカ古着のセーターが近所の古着屋さんに入荷した。

金欠だった為、学校が終わる17時に店に残っていたら買おう。と思ったけれどセーターのことで頭がいっぱい、なにも手に付かなくなってもう授業をこっそり抜け出してお店に行こうかしらとモヤモヤしていた。

優しい友人が私を見かねて原宿に寄ったので見てきてあげるよ。と言ってくれて見に行ってくれたがタッチの差で売れてしまったらしい。

仕方がない、世間を賑わせているファンシーセーターだもの。生きているうちに会えればいいな。縁がなかったんだ。これでよかったんだ。と諦めた。

後日よく通う古着屋さんにそのセーターを着た女の子のスナップ写真がTwitterにアップされていて、蒸し返してしまった。

好きな異性が友人と歩いているのを目撃したかのような感情に近いとおもう。(そんな経験はない)

すっかりセーターのことを忘れて12月に入った頃 また寝坊をして昼下がり電車に乗って学校へ向かっていた。

友人がLINEでセーターが入荷してる!!と写真付きで教えてくれた。

13時過ぎ、古着屋さんがオープンして間もない時間。学校へ行かないといけないけれどダッシュで中野に寄ろう!と走った。

商店街のアーケード、人がぎゅうぎゅう肩がぶつかりそうなほどいる中をくぐり抜けて走った。息切れしてお店についたら先日スナップ写真に写った女の子がセーターを手に持っていた。

女の子はセーターを購入すると言ってお金をおろしに行った。

物理的に後に来た私が悪いので早く学校へ向かおうと思って学校へ向かおうとした所、女の子が店に戻ってきて『やっぱり譲ります』と言った。その場にオーナーさんもいらしたのだがオーナーさんが

『譲っても、譲らなくても、必ず後悔はすると思うから 後になって考えて良かったと思える後悔を選んでね』と言った。

いままでだいたい、後悔しないほうを選んで生きていく気がしたけど後悔しないことって実はそんなに無くて大小問わずなんらかの後悔は伴うのが当たり前。そんなことを改めて気づかされた。

これでよかったのだ。も後悔だし、あぁしなきゃよかった。も後悔なのだ。 結局人間でいるうちは後悔という感情と折り合いをつけ付き合っていく。後悔という概念があまり憎いものと思わなくなった。