めっちゃホリディ
本当に、急に、なんとなく松浦亜弥さんのYeahめっちゃホリディのPVを見たら自分の中でなにかが勢いよく崩壊した。こどもの頃にモー娘。とかミニモニ。がすごく流行っていたけど親がアイドルに否定的だったためその頃はアイドルが好きな事はとんでもなく恥ずかしい事だと思ってたし、好きになっちゃいけないと思っていたので見事にその道を通ることなく成長し、その反動なのか今ではアイドルが好きだ。 そういうのもありで何気無くYeahめっちゃホリディを見て衝撃を受けた。
まず90年後半〜03年くらいのポップでルーズなファッションが好き。個人的にギャルの全盛期はこのくらいの時期だと思っている。ギャルって邪険な目で見られがちだけど陽気で自由な感じだけは島国の人間らしくなくていいなぁと思っている。
あとあややはこんなに可愛いかったのかというのがだいぶショックだった。うっすらとした記憶の中であの頃ダントツで辻ちゃん加護ちゃん等が人気だった気がするけどあややの方が飛び抜けてかわいいし歌もうまいしスラリとしている。この可愛いさ早く知りたかった。
それとこの歌を真剣に聞いたのがこれが初めてだったけど、とても幸福度が高い仕上がりでいいなぁと思った。 歌詞の i yume@ .. / あい ゆめ どっとどっと…すら〜っしゅ が最高すぎる。そうかこの頃はケータイのメールが主流だったなというのを彷彿とさせる時代背景もいい。
それにしても あい ゆめ っていうメールアドレスなんなんだ。
この歌は無理やりにでも元気が出そうだし何回みても同じ所で笑えるのでちょっとしんどいなと感じたら見てみようとおもう。Sweet Dreams
東京に上京してはや3年になりました。
ついに3月に卒業を控えています。2月上旬には卒業制作展がありました。足を運んでくださった皆様どうもありがとうございました。
作品の解説は普段からしたくないと思っていて学校で講評会があって人前で説明をしないといけない時ですら、8割がた内容をぼかして不確かな説明をしてきました。たまに適当な事を言ったりもしました。
なんでしたくないかというと、単純に各々でいろんな想像をしてほしいからです。
想像してくれなんて厚かましいなと思う時もありますが、タイトルだけ明かして 本当のことは秘密にしておく。そこに魅力を感じているし、現実に縛られることなく自由に想像をすることって何歳になっても忘れたくないと思います。
今回の卒制展でも作品の横に小さいキャプションが置かれていたのでもうこの際言ってしまうと、
Sweet Dreams♡1980
Sweet Dreams (よい夢) 、1980 (80sへの憧れ)
個人的に80sのBarbie Dollが自由でハイセンスで大好きなので80sテイストなバブリーなカラーリングとモチーフ。 誰しも幼い頃ありもしない世界、お人形やアニメの世界に行けたら…っていう想像(Sweet Dreams!)をしたことがあるのではないか。という考えから制作しました。真ん中で割れる仕様はBarbieが履いている靴からインスピレーションを受けて、真ん中で割れたらおもちゃっぽいなという所から来ました。
靴で夢を叶えることができたら。という可能性。
素敵な洋服はもちろんだけど靴も可能性があるんだということをもっと世の中に伝えたいと思う。 靴の面積は洋服に比べたら小さい。だけどそこに幾つもの制約がある。その制約をクリアしてはじめて靴は成立する。できることが限られているからこその魅力と、限られていることの開拓をしたくなる。
まだまだ未熟だけど自分にできることはなんだろうかと考えて今後の活動へ生かしていきたいと思っております。
3年間やってきて、向いてないなぁって思うことがダントツで多かったけど、不思議と辞めたいとはまだ思っていなくて、まだやれるかもしれないという気持ちのほうが大きいのでまだ少し夢を追いかけさせてください。
ラヴ・イズ・ブラインドネス
私事ではあるけれど身の回りの状況がめまぐるしく変わり今まで以上に真剣に生と向き合っている訳ですが、重ねて弊害も幾つか出てきて頭が混乱して整理がつかない。
友人が純情な恋愛ばかりしている人なんていないよ。と言っていた。それはそうだと思う。真面目すぎるし、考えが偏りすぎているし、変な生き方しかできないのかもしれないけど人それぞれ他人に愛を持って接することや考えはまったく違うのだから、誰かが恋愛の泥沼を行くとしてそれが人生の厚みだと感じる人がいてもいいし、最低だと思う人がいてもいい。結局他人に影響され心を奪われることが1番悲しい。私は肉体を魂の入れ物だと思っているから体は仮のもの、心を失くしたら完全におしまいだと思っている。(あくまで主観)他人に左右されたり流されたりすることは魂を失くすことと考える。だから私なりの変な生き方しかできないなら、それでいいやとおもったのでありました。
アヒルが小屋に帰っていくセーター
11月下旬 寝坊をしてしまい昼下がり電車に乗って一目散に学校へ向かったところ私が1年ほど前から探していたアメリカ古着のセーターが近所の古着屋さんに入荷した。
金欠だった為、学校が終わる17時に店に残っていたら買おう。と思ったけれどセーターのことで頭がいっぱい、なにも手に付かなくなってもう授業をこっそり抜け出してお店に行こうかしらとモヤモヤしていた。
優しい友人が私を見かねて原宿に寄ったので見てきてあげるよ。と言ってくれて見に行ってくれたがタッチの差で売れてしまったらしい。
仕方がない、世間を賑わせているファンシーセーターだもの。生きているうちに会えればいいな。縁がなかったんだ。これでよかったんだ。と諦めた。
後日よく通う古着屋さんにそのセーターを着た女の子のスナップ写真がTwitterにアップされていて、蒸し返してしまった。
好きな異性が友人と歩いているのを目撃したかのような感情に近いとおもう。(そんな経験はない)
すっかりセーターのことを忘れて12月に入った頃 また寝坊をして昼下がり電車に乗って学校へ向かっていた。
友人がLINEでセーターが入荷してる!!と写真付きで教えてくれた。
13時過ぎ、古着屋さんがオープンして間もない時間。学校へ行かないといけないけれどダッシュで中野に寄ろう!と走った。
商店街のアーケード、人がぎゅうぎゅう肩がぶつかりそうなほどいる中をくぐり抜けて走った。息切れしてお店についたら先日スナップ写真に写った女の子がセーターを手に持っていた。
女の子はセーターを購入すると言ってお金をおろしに行った。
物理的に後に来た私が悪いので早く学校へ向かおうと思って学校へ向かおうとした所、女の子が店に戻ってきて『やっぱり譲ります』と言った。その場にオーナーさんもいらしたのだがオーナーさんが
『譲っても、譲らなくても、必ず後悔はすると思うから 後になって考えて良かったと思える後悔を選んでね』と言った。
いままでだいたい、後悔しないほうを選んで生きていく気がしたけど後悔しないことって実はそんなに無くて大小問わずなんらかの後悔は伴うのが当たり前。そんなことを改めて気づかされた。
これでよかったのだ。も後悔だし、あぁしなきゃよかった。も後悔なのだ。 結局人間でいるうちは後悔という感情と折り合いをつけ付き合っていく。後悔という概念があまり憎いものと思わなくなった。【Review】REFLECTION
6月3日
学校帰り渋谷TSUTAYAに寄り新譜をフライングゲットした。その日はMr.ChildrenのニューアルバムREFLECTIONのリリース前日であった。 今作のアルバムはNakedとDripの2形態でのリリースで、Nakedは全23曲がUSBメモリーに収録されており、最高音質とされるハイレゾ音源を再生可能といったものである。 Dripは全23曲から激選した14曲を収録、収録しきれなかった9曲は1曲300円くらいでまた別にダウンロードが可能というものである。桜井氏曰く、{Naked}は「裸」であるはずなのに{Drip}より多くのものを身に纏っている とのこと。 ちなみにややこしい説明をすると、Naked盤の箱の中にDrip盤がまるまる入っており、Naked盤を持っている人からしたらDrip盤のCDは全くもって意味を持たないものになってしまう。 あと強いて言うならDVDが付属しているのでわざわざDVDだけNaked用にまた梱包するのはコストがかかるよ~みたいな事情を感じてしまう。 今は6月をちょうど半分過ぎた頃、移動中に必ず聞き、無理矢理にでも覚えこむ形でだいたい全ての曲を自分の頭の中に取り込み終わった。そのタイミングでFather&Mother21周年記念特別号スペシャルインタビューに目を通した。 個人的にこれは名曲になる!と思った 運命とI wanna be there がお蔵入りしかけたのだそう。 なんてことだ〜と思ってすぐさまネットのレビューをググった。
ネットでも同じような考えを持っている人が多く、「運命がお蔵入りしかけるなんて、桜井さんが考えていることはわからない!」というような感想が多く見られた。 桜井和寿は鬼である。アーティストなんていうものではない。鬼。
もう誰の手にも及ばないし、誰もが羨やむ才能と美声とテクニックを手に入れて他の追随を許さないなぁと思う。 私がライブへ行き始めたのは2009年のSUPERMARKET FANTASY のツアーからで、それからはツアーがあるごとに必ず足を運んでいる。 私がミスチルにのめり込んだのはだいたい2008年頃で中学1年生の時、YouTubeでHOME TOURのライブ映像を見たことがきっかけなのですが、もうそれは本当に感動した。わけがわからないほどに。 もっと知りたいと思った。桜井さんは楽しそうに幸せそうに歌を歌っていて現場にいるわけでもないのに臨場感が伝わってきて、どんどんと引き込まれる。もう画面の向こう側に行けちゃうんじゃないだろうかと思った。 それからどんどんとのめり込んでライブにも行ったがどうやらSENSEあたりからマンネリ感を感じずにはいられなかった。 義務感が漂っていた。
義務感ってなんですか。と思われるでしょうが、ミュージシャンが義務感を背負って歌うたっているようにしか思えなかった。 Mr.Childrenには小林氏というプロデューサーが付いており、20年近く曲のアレンジ等は彼がやっていた訳なのですが、やはりミスチルを大きくしてやったのは俺だ。という構え方が(偏見)賛否両論あったのでは。と個人的に思っている。色々な噂を聞くが、今作は小林氏を除いてセルフプロデュースでのリリースとなった。 今作はホンモノ だと思う。4人のグルーヴ感がきちんと出ている。 深海 以来に生身の姿を感じられる。深海 から全面的に感じる”負”だけが生身、もしくはエネルギーのようなものとは思っていない。今作は優しさや切なさ そんな生身がダイレクトに感じられる。自分が描いた絵に他人が手を加えてきたという感じが全くない。なにも纏っていない「裸」の状態。桜井さんが述べていた意味がハッキリとクリアになった。 音楽を再生する前はかなりビクビクしていた私だけど、曲を覚えてからはどことなくここ数年のわだかまりが溶けた。 前作an imitation blood orange では特にただならぬマンネリというより、振り切れていない迷いを感じていたので今作は本当に素晴らしかった。 1曲1曲どれをとっても文句のつけどころがない。素晴らしく、とんでもない。
余談1
blood orangeを購入して、ウォークマンに入れるもほとんど再生することはなったし、ツアーに備えて曲を覚えることを疎かにした為ライブで痛い目に遭った
夏の魔物へラブレター
縷縷夢兎の個展へ行った。
ハンドメイドニットで紡がれる嘔吐クチュール。実際に目の前にして見たことが無かったから、期待と緊張を胸に会場へ向かった。
会場へ行くとデザイナーの佳苗さんがいらっしゃった。
私は佳苗さんを一目見て衝撃を受けてしまった。もう、尋常じゃないくらいエネルギーに満ちていて、いい意味で本当に魔法使いか、魔物か、というくらい莫大なエネルギーに満ちていた。
実際に会ってお話をしてみたい。と思っていたのだが、あまりにも強すぎるエネルギーに私は圧倒されてしまい、声をかけることができなかった。なんなら佳苗さんを遠目から見ることも困難だった。
まだ短編映像すら観ていないのに放心状態になってしまった。もう、ダメだ。。出直そう。今の私が近付ける世界ではないと思った。
そしてすぐに縷縷夢兎のmuseとは佳苗さんのことだと悟った。
まだ短編映像すら観ていないのに。
展示されているニットの洋服は、息をしていた。そして着た人の思いも詰まっていた。大袈裟な言い方、オカルトかよって笑われそうだけど、魂が込もった、生きている洋服だった。
そこが、ハンドメイドの最も素晴らしい魅力だとおもっている。
既製品にない素晴らしさ。愛。
なにごとも意味を持たせないと、死んでしまう。息をしていない洋服やモノは人の心に響かないと思っている。
私は靴をつくっているが、作っている途中で自分が作っていないような感覚になったら即座に作るのを辞める。それが課題であった場合、とりあえず出すが、出来上がったものは全く息をしていない。それは自分ではなく他人が作ったものになってしまうから。
確かに自分が作ったものなのに、他人が作ったものになってしまう。
不思議だけど、意味を持たせないと死んでしまうとは、こういうことである。
私は圧倒されてしまったまま、会場の小さなモニターで少しだけ映像を観た。
断片的にしか観ていないけれど、胸が締め付けられるくらい辛くなってしまった。
昔のトラウマが蘇る。あれよあれよと蘇ってくる。会場を出る時にzineを購入した。DVD付きが欲しかった。けど、今の私に映像を観る勇気がない。
本当にごめんなさい。
もっともっともっと縷縷夢兎のことが知りたいのに、映像を見る勇気が全くない。
でも、今日は最終日だ。これを逃したら一生後悔の念に押しつぶされてまたトラウマが増えるんじゃないだろうかと夜が明けてきた今、大混乱している。
佳苗さんがトラウマを魅せたいとおっしゃっていて、そこにすごく愛を感じた。トラウマを魅せてくれる方って普通いない。世の中は汚い部分は隠蔽して、いいものしか見せてくれない。当たり前だけど、そうやって物事の核心は包み隠されていることが殆どだと思う。
だからこそ、その愛をきちんと受けとめたい。でも、勇気がでなくて自分との葛藤がすごい。最終日、12時まであと7時間しかない。勇気をください。
私は、ゆめかわいいが大嫌いです。
安易に口にされること、それが一つのカテゴリーとして成立していること、そして本物の輝きがテキトウにそこに押し込まれることが嫌い。
そんなカテゴリーや単語をぶっ壊して2度と口から出ないようにしてやりたい。と常に思っている。
だから、アンチテーゼを込めた靴を勝手に作って、勝手に打ちのめしたような気持ちになっている。
私はただの学生で、なにも影響力がない。私が一人でゆめかわいいをぶち壊す!と叫んだって全く届かないのが事実。
佳苗さんがゆめかわいいという概念をぶち壊していっているというのをこの個展で確かに感じて、本当に勇気づけられた。
帰り道、さっきまで圧倒されていたのに、なぜか少しスッキリしていた。私も、佳苗さんみたいなかっこいいひとになりたい。僭越ながらこれからも応援させて頂きたいと思いました。
2015年 夏
夏の魔物に出会えたこと、この時代に生きていたこと、幸せに思います。