夏の魔物へラブレター
縷縷夢兎の個展へ行った。
ハンドメイドニットで紡がれる嘔吐クチュール。実際に目の前にして見たことが無かったから、期待と緊張を胸に会場へ向かった。
会場へ行くとデザイナーの佳苗さんがいらっしゃった。
私は佳苗さんを一目見て衝撃を受けてしまった。もう、尋常じゃないくらいエネルギーに満ちていて、いい意味で本当に魔法使いか、魔物か、というくらい莫大なエネルギーに満ちていた。
実際に会ってお話をしてみたい。と思っていたのだが、あまりにも強すぎるエネルギーに私は圧倒されてしまい、声をかけることができなかった。なんなら佳苗さんを遠目から見ることも困難だった。
まだ短編映像すら観ていないのに放心状態になってしまった。もう、ダメだ。。出直そう。今の私が近付ける世界ではないと思った。
そしてすぐに縷縷夢兎のmuseとは佳苗さんのことだと悟った。
まだ短編映像すら観ていないのに。
展示されているニットの洋服は、息をしていた。そして着た人の思いも詰まっていた。大袈裟な言い方、オカルトかよって笑われそうだけど、魂が込もった、生きている洋服だった。
そこが、ハンドメイドの最も素晴らしい魅力だとおもっている。
既製品にない素晴らしさ。愛。
なにごとも意味を持たせないと、死んでしまう。息をしていない洋服やモノは人の心に響かないと思っている。
私は靴をつくっているが、作っている途中で自分が作っていないような感覚になったら即座に作るのを辞める。それが課題であった場合、とりあえず出すが、出来上がったものは全く息をしていない。それは自分ではなく他人が作ったものになってしまうから。
確かに自分が作ったものなのに、他人が作ったものになってしまう。
不思議だけど、意味を持たせないと死んでしまうとは、こういうことである。
私は圧倒されてしまったまま、会場の小さなモニターで少しだけ映像を観た。
断片的にしか観ていないけれど、胸が締め付けられるくらい辛くなってしまった。
昔のトラウマが蘇る。あれよあれよと蘇ってくる。会場を出る時にzineを購入した。DVD付きが欲しかった。けど、今の私に映像を観る勇気がない。
本当にごめんなさい。
もっともっともっと縷縷夢兎のことが知りたいのに、映像を見る勇気が全くない。
でも、今日は最終日だ。これを逃したら一生後悔の念に押しつぶされてまたトラウマが増えるんじゃないだろうかと夜が明けてきた今、大混乱している。
佳苗さんがトラウマを魅せたいとおっしゃっていて、そこにすごく愛を感じた。トラウマを魅せてくれる方って普通いない。世の中は汚い部分は隠蔽して、いいものしか見せてくれない。当たり前だけど、そうやって物事の核心は包み隠されていることが殆どだと思う。
だからこそ、その愛をきちんと受けとめたい。でも、勇気がでなくて自分との葛藤がすごい。最終日、12時まであと7時間しかない。勇気をください。
私は、ゆめかわいいが大嫌いです。
安易に口にされること、それが一つのカテゴリーとして成立していること、そして本物の輝きがテキトウにそこに押し込まれることが嫌い。
そんなカテゴリーや単語をぶっ壊して2度と口から出ないようにしてやりたい。と常に思っている。
だから、アンチテーゼを込めた靴を勝手に作って、勝手に打ちのめしたような気持ちになっている。
私はただの学生で、なにも影響力がない。私が一人でゆめかわいいをぶち壊す!と叫んだって全く届かないのが事実。
佳苗さんがゆめかわいいという概念をぶち壊していっているというのをこの個展で確かに感じて、本当に勇気づけられた。
帰り道、さっきまで圧倒されていたのに、なぜか少しスッキリしていた。私も、佳苗さんみたいなかっこいいひとになりたい。僭越ながらこれからも応援させて頂きたいと思いました。
2015年 夏
夏の魔物に出会えたこと、この時代に生きていたこと、幸せに思います。